ハウスメーカー出身の家づくりプランナーが「家づくりとお金」をトータルサポート

佐藤 陽のこと

菴占陸讒・capture one19991 (532x800) 代表の佐藤 陽です。 少しでも経験や人柄が伝わればと細かいプロフィールを作りました。

学生時代

小学校5年生の時に突然、興味を持って始めた吹奏楽。 トランペットとクラリネットとフルートくらいしか楽器の名前も知らないような状態で何かに突き動かされるように入部届を出していました。 それまでこれと言って音楽に関わった経験もなく、出来る楽器は音楽の授業でやった笛くらい。音符も読めなければ、シャープやフラットという記号の意味も知らないのに、なぜか「やりたいと」と思って始めました。 当時の顧問の先生に「これをやりなさい」と指示されたのがトロンボーンでした。 tro005 初めて知った楽器でしたが、あっという間にのめり込んで、それからずっと、大学卒業まで夢中でやっていました。(大学卒業後も実はたまにやっています) 中学校 高校 大学と活動の内容もより本格的になっていき、大学時代は年に数回の演奏会や演奏旅行などをこなし、演奏会を演出、企画するようなことも経験し、「プロ」と言っていいほど一年のうち楽器に触れないのは数日だけという生活でした。 でも、ここで身に着いたことは「お客様にいかに喜んでもらうか」という視点です。

住宅業界を選んだきっかけ

展示場 就職活動を意識し始めた大学3年生の秋頃。 当初は当時アルバイトをしていた飲食店から「社員にならない?」なんて誘われていたこともあり、サービス業が気になっていました。あとは憧れも含めてマスコミ業界なんて考えていました。 同じ時期、実家の建替え工事をやっていました。 12月に工事が終わって引渡しされたのですが、工事途中も現場を見に行って、出来上がっていく様子をみていました。 工事が始まる前のハウスメーカーとの打合せには一度も同席はしていませんでしたが、親から見せてもらっていた図面がそのまま形になっていく様子に感動したことを良く覚えています。 そして、住宅業界を意識し始めたきっかけもここだったかもしれません。 住宅業界へ志望を固めるにはまだ少し時間はかかりましたが、 ・お客様に喜んでもらえる自分もやりがいや充実感を得られる文系でもモノづくりに関われる こんな視点から業界を絞り込んで、「住宅業界」が面白そうだとたどり着きました。 学生の目線で見ている業界と実際の業界は違いますが、就職活動の初期に住宅展示場を回り、自分が志望する会社のモデルルームに入っては、社員の人に話を聞いて回りました。 そして、その時に必ず聞いた言葉は 「仕事は楽しいですか?」 結構、嫌なことを聞いていたかもしれません。 ちょっと詰まって「楽しいよ」という人 間髪入れずに「楽しいよ!」という人 様々でしたが、これはそれぞれのメーカーの雰囲気を知る良いきっかけにもなりました。 こういった活動を通して、選んだ企業が「積水ハウス」でした。 複数の社員と会いましたが、どの人も活き活きとしているように見えて、またどの展示場に行っても学生である自分にすら気持ちの良い対応をしてくれたことが大きなポイントでした。そして何より実家の建て替えを「積水ハウス」でやっていて愛着があったことが大きかったかもしれません。

理想と現実の狭間に苦しんだ営業時代

vcm_s_kf_m160_160x106「お客様の夢のマイホーム実現をお手伝いするやりがいのある仕事」と希望を抱いて入社したのが積水ハウスでした。一ヶ月ほどの研修を経て、ある住宅展示場に配属されます。しかし、この年はある出来事が起きていた春でした。   平成9年4月   消費税が3%から5%へ上がった春。増税の春でした。住宅展示場は閑古鳥が鳴き、GWと言ってもそれほどお客様が来るわけでもなく、先輩たちも契約を頂くのに四苦八苦している様子。 「バリバリ」の営業マンが次々に契約を決めてくるドラマのような様子を勝手にイメージしていたのとはかけ離れた現実がありました。 そして、何より自分が甘かったのが「営業マン」の現実。   契約目標数字   新人ですから、それほどキツイ追及を受けるわけではありませんでしたが、毎週の会議で契約予定のお客様の進捗を確認され、契約予定のお客様すら見つけられていないタイミングの先輩たちに浴びせられるキツイ言葉。 就職活動中には絶対に見ることもない現実の世界。   「すごい世界に足を踏み入れてしまったかも・・・」   とビビったことを覚えています。 何より「お客様の夢の実現のお手伝い」なんて気持ちでいたけれど、契約を頂けなければそもそもお手伝いもできないという当たり前の現実。 同期の中には5月に初契約を頂く人まで出てくるなか、「焦る必要はない」と激励をしてくれる先輩たちに助けられながら、7月には初契約を頂くことができました。 その後も契約を頂くたびに感じたのは、契約を頂けないと「家づくりの楽しさにも関われない」ということ。 競合負けをすれば基本的にその先の関わりはなくなるわけで、0か100かという世界です。 そんなに簡単に契約を頂けるわけもなく、他社の営業マンとどう差別化するのか?お客様のニーズをどう引き出すのかなど試行錯誤を繰り返します。 そんな中のひとつに「住宅ローン」がありました。

まさかの部署異動

そんなこんなでスランプも経験しながら、仕事の面白さも感じながら、7年ほど営業をやっていたある日、当時の支店長に呼ばれ、総務課への異動が決まりました。 当時は在籍していた支店の業績は全国トップ。 工事の件数も半端なく多く、経理や売上管理、住宅ローンの取次業務などをやっていた総務課も人数が少なくパンク状態。 毎日午前様どころか徹夜をして対応していることもあった状態。異常でした。   新人が配属されるもあまりの激務に次々に辞めていってしまう状況を見かねて、支店内で対応できそうな人を入れようとなり、支店長いわく   「営業のくせに細かくて、書類仕事もミスが少ない」   という褒められているのかどうなのかよく分からない理由で異動となります。

そして住宅ローン漬けの日々に

家と図面この同じ時期に住宅金融公庫が住宅金融支援機構になり、フラット35という新しい住宅ローンが誕生しました。そして、その取次業務を総務課が担当することに。 80名近い営業マンからフラット35案件が全て持ちこまれる状態に・・・ そして、ローンの申込対応、審査中の案件の問い合わせ対応、不足書類があれば手配をし、融資実行の手配も行い、登記も手配し、銀行員でもこんなに扱わないのではないかと思うほど、ひとりで毎日毎日住宅ローンと格闘する日々となります。 それ以外にも営業マンが銀行へ持ち込んで否決された住宅ローン案件などを引き取り、貸してもらえる銀行を探してくるという業務も発生します。 おかげでこの経験が住宅ローンを深く知るきっかけになり、銀行の方からも多くのことを教えて頂けることとなります。 銀行員以上に住宅ローンが詳しいと言われたことがありましたが、とてもうれしかったです。

違和感を覚え始め・・・

住宅ローンのことに詳しくなり、次第にファイナンシャルプランナーという資格に興味を持ち、勉強を始めます。勉強をしてみるとこれが事の他楽しくて、3級 2級 AFPと一気に合格してしまいました。 しかしこれが仕事に違和感を持ち始めるきっかけともなります。 「ライフプラン」という視点から見ると家の購入は家計に大きな影響を与える可能性があるという事実。それまでは「家が欲しい」という方にどう実現してあげられるかという視点でしか考えていませんでした。ハウスメーカーの社員としても当然、契約を頂くためにはどうしたら良いかという視点からとらえます。 お客様の人生という面からとらえた時にもしかしたら自分の仕事の結果がお客様の人生を狂わす可能性もあるということに大きな衝撃を受けます。もちろん家を建てるかどうかはお客様の選択でハウスメーカーにお客様の人生まで責任を負う必要はないのですが、「マイホーム」という夢の実現に関わる素敵な仕事だと思っていましたが、もっと責任が重大だと感じ始めました。 そして、色々な営業マンを見るなかで、お客様へは「変動金利がお勧めです」なんて住宅ローンを進めていた成績の良い営業マンが自身の自宅を建てるときには「変動金利なんて怖くて絶対借りられない。自分は固定金利でやる」なんて言っている姿をみて、愕然とします。 そして多くの住宅ローンの取次等をやる中で「このお客様、計算上は銀行もこの希望金額をきっと貸してくれるけど、こんなに借りて本当に返していけるのかなぁ?」なんて不安を感じることが多くなってきます。 でもハウスメーカーの社員という存在では「もう少し借り入れ金額を減らした方が良いですよ」とか「今は建てるのはやめて、お金をもう少し貯めてから建てましょう」なんて言える訳もなく、銀行から住宅ローンが借りられるなら建築を辞めさせるような話はできません。

独立するかどうするか

もっとメーカーだけの都合ではなく、お客様に寄り添った仕事のやり方はないだろうか?そんなことを考える日々となります。 別の部署でそんなことを実現できないだろうか? 別の会社でそんな想いを実現できる会社はないだろうか? そんなことを考え、情報収集を繰り返しながらたどり着いた結論は
  「会社である以上、どこにいっても会社都合で業務が動く側面は変わらない。ならば自分でやろう。独立してそれを実現させよう」   そう決断しました。   そう決断するまで3年近くかかっていたかもしれません。 積水ハウスの全てが嫌な訳ではありませんし、やはり大きな会社。そこを飛び出すということの不安や恐怖はありましたが、きっかけは 東日本大震災でした。   震災当時に勤務していた支店はビルの27階です。 震災の揺れの長さと強さは本当に「ここで死ぬかも」と思わされる程でした。 自分のデスクの引き出しは揺れに合わせて飛び出したり、引っ込んだり。 自分は床にしゃがんで身動きも出来ない状況です。   幸い勤務地も住まいのエリアも大きな被害はありませんでしたが、その後の東北の被害状況を目にするにつけ   「人間、いつどこで死ぬか分からない」と実感しました。   そしてこのことがきっかけで、独立をするなら今が最後と決心がつきました。 38歳の春でした。   家族にそのことを伝えると「いいんじゃない。むしろやっと決断したんだ!」と前向きな反応があり、少し驚いたことを覚えています。   退職の意思を会社に伝えたのが5月のGW前だったと思います。 そこからは上司や役員からも「考え直した方が・・・」と慰留を受け、ありがたい気持ちと「自分がブレてはいけない」と固く気持ちに誓い 8月10日付けで退職となります。  

独立前に勉強したかったこと

  積水ハウスを退職後に独立前に勉強したかったことがあります。 それは「相続」でした。   なぜなら不動産やマイホームに関わると相続に関する相談を受けることも多々あります。 仕事で「アパートの建築」に関わると「相続」の知識は必要不可欠になりますが、もっと幅広く相続のことを知りたくて 相続コンサルティング会社に転職をします。   小さな会社ですが、業界では名の通った会社でした。 外部からはそのノウハウなども窺いしれず、入社して勉強したいと思っていました。   遺言書作成 相続税の申告 などハウスメーカーでは関わることはない実務に触れて非常に勉強になりました。 さらにはこの会社の収益構造や営業手法などを知ることができ、コンサルティング会社の実情も勉強になりました。   短い期間でしたが、お世話になったこの会社を退職して、いよいよ独立へと歩み始めます。  

独立

平成24年4月1日付けで「FPオフィスケルン」を設立しました。 当初の想い通り住宅ローンや住宅購入相談をメインにした活動を開始しました。    

お気軽にお問い合わせください。 TEL 047-315-1239 受付時間9:00~17:00

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マイベストプロ・マネーの達人にて、コラムを執筆しています。





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